しめの日記帳

日記を書きます。あと読んだ本の感想とかも書きます。

くどうれいんさん「日記の練習」を読みました 日々をどう捉えて日記に記すのか

 

日記の練習/くどうれいん



私は日記帳に手書きで書くスタイルで日記を書きつけていて、このブログではひと月に一週間ほどピックアップしたものを掲載している。
自分の日記を書きつつ、好きな作家さんのエッセイや日記を読んで、ああなんて素敵な文章なのだろうとウットリ憧れはするものの、私の日記にはアウトプットされていない。「『日記』ってこれでいいんだっけ?」と迷いながら日記を書き続けるものの、結果としてただ日常の出来事を順番に書くだけの日記になってしまう。

 

日記を書いている人、ぜひ本書の冒頭部だけでも読んでみてほしい。

 

毎日欠かさず決まったノートに日記をかいている人の日記と自分の「日記」を同じものだと思えない。そんなに継続して毎日同じことができる人に、日記って本当に必要なのだろうか、とすら思う。

ーー(中略)ーー

わたしは、むらがある日記ほどいい日記だと思っている。

(日記の練習ー「日記の練習」をはじめます より引用)

 

私の日記はくどうさんの日記とは全然違うものだな、と思った。私は毎日過ごす感覚を全然日記に書けていなくて、「今日は●●して、△△して、□□しました。」というただ事実の記録になってしまう。私が好きで読んでいる日記たちは、書き手の研ぎ澄まされた感覚センサーに引っかかって、残ったものたちを丁寧に言語化したものなのだと気づいた。

 

「むらがある日記ほどいい日記」という言葉にかなり落ち込む。まるで私がつまらない人間で、面白い人間になろうとして全然なれていないさまを突き付けられたような気がする。

…と、冒頭ですでにコテンパンにやられた私だが、本書で書かれている日記は本当にすごい。面白いし読みやすくて一気に読めてしまった。くどうさんはエッセイを多く書いているが、本書はエッセイではなく日記だ。くどうさんの日々の感覚が日記形式に変換された書きっぷりで書かれる。この違いもすごい。エッセイをお持ちの方は、ぜひ読み比べてほしい。

 

本書を読んだ後、くどうさんはどういう思考回路で日記にアウトプットできるのかが本当に不思議で、少しでも知れればと思いトークイベントも見ることにした。(イベントはすでに終了しているが配信で見ることできる↓)

くどうれいん×古賀及子「生活にとって日記とはなにか」『日記の練習』(NHK出版)刊行記念 | Peatix

 

 

1時間半に及ぶトークイベントを見て分かったことだが、まず私が本書を読んでコテンパンにやられたと思ったことが間違いだった。くどうさん(と、古賀さん)は文章を書いて書いて書きまくって今、物書きを仕事にされている方で、私なんかが日記でちまちま書いているようなレベルと比較するのが間違いだった。こういった方々とは日常の切り取り方の技術がまず違うし、読み手に媚びない(エモの安売りをしない)、というのが最高にかっこいい。

トークの質疑応答で話題に上がっていたが、日記の文章を書くコツとして「シンプルな文章」・「ポエティックさ」(エモではなく、「ポエ」)をうまく取り入れるといい文章になる…らしい。たしかに、日記を読んでああいい文章だなと思うとき、ポエティックな文章であることが多いかもしれない。

 

シンプルでポエティックな日記、と聞き思い浮かんだのが、以前紹介した「ティンダー・レモンケーキ・エフェクト」のこのフレーズ。私はこの文章が大好きだ。

 

 風が気持ちよくて帰るのがもったいないので、阿佐ヶ谷まで歩こうと誘ったら快諾してくれた。夜にする散歩は、この世にあるしあわせの中でも、尊いしあわせのひとつだ。阿佐ヶ谷までといいながら、夜をひきのばすようにさらに先へと歩く。

(ティンダー・レモンケーキ・エフェクト より)

【新刊】葉山莉子『ティンダー・レモンケーキ・エフェクト』発売です | タバブックス (tababooks.com)

 

 

よし、私が目指す日記スタイルが見えてきた気がする。

かっこつけずに、たくさん文章を書く。アウトプットの量を増やすこと。

改めて書くのはこっぱずかしいので書かないが、今後このブログに載せる日記の文体に変化があったら、「ああこいつはシンプル・ポエティックを意識してるんだな」と笑ってやってください。(←書かないといいつつ書いている…)