塩騒のブログ

日記を書きます。あと読んだ本の感想とかも書きます。

5月13日午後の日記 会社を休んだ日 働きたくない日

今朝は4時半ごろから目が覚めてしまいその後なかなか寝付けなかった。

布団の中で寝れずにゴロゴロしているとなんだか気分も落ち込んできてなんだか泣けてきたので、会社は休むことにした。

ここぞとばかりに溜まっていた本を読んだ。

・春はひかり/林やは

・ここで唐揚げ弁当を食べないでください/小原晩

・奇貨/沙東すず

 

小原晩さんは私と同い年のようだ。同世代のエッセイは感情が乗りやすくて読んでいて清々しい気持ちになれる。サクッと読めるのでなにか読みたくなった時に手にとろう。

 

沙東すずさんは初めて読んだが、旧名のメレ山メレ子という名前は聞いたこともある気がする。今作「奇化」は沙東さん自身の失恋の苦しみをそのまま文章にした本だ。この本、かなり怨念というか重い気持ちが込められていて読んでいて少し苦しかった。

私自身一方的に別れを突きつけられた時の気持ちというのをとても苦しく記憶しているので、過去の苦しい気持ちが沙東さんの驚異的な言語化力と洞察力によってこじ開けられて沙東さんと重なった気がした。

 

今年度に入ってから、漠然と会社に行きたくない働きたくないという気持ちがたびたび現れる。6年間同じような仕事をしている飽きがきているのかと思っている。

新しいことをしたい、もっと色々な仕事をしたいとは思うが、キャリア思考も強くはない(むしろ仕事やめてできることなら働かずして生きたいとすら思っている)ので、前向きな転職はできるのだろうか。

 

今の会社は新卒で入社したが、決め手は「安定してるしもし子供ができても長く働けそうだったから」だった。

安定している仕事に就けている安心感こそあるが、今となっては6年働いてそこまで自分の成長を感じているわけでもなくただ漠然と仕事を続けてきたなと思うだけだ。

ずっと変わらなくていいと思っていたが飽きた。

ただ転職するほどの不満もないし気力もないので続けているという感じで、漠然と「このままではだめだ」と思う。

 

本当にこのままではだめなわけはなく、きっと私は転職したとしても何者になれるわけでもないのでこのまま今の仕事を続けていくのが最適解なのだと思う。

仕事も私生活も何も変わり映えがないから色々と嫌になっている。

 

炊飯器を変えてみたり新しい趣味を探してみたりする。

でも本当は今までの人生をガラッと変えるような何かを求めている。結局、そういう年頃なのだと思う。

 

 

 

 

 

その言葉も訳されれば本当の意味は伝わらない

滅多に歌詞のある音楽は聴かないが、ヒグチアイ「悪魔の子」は初めて聞いたとき(進撃の巨人のアニメ)に頭の中に刺さった感じがした。

 

フルで聴いたらなおよくて、特に「この言葉も訳されれば本当の意味は伝わらない」

の部分はたしかに〜!!と思った。

 

キリンに雷が落ちてどうする(品田遊)であったが、相田みつを氏の詩は海外でもよまれているらしく、

It's alright to make a mistake,we are human

(間違いを犯しても構わない、我々は人間だ)

になるらしい。

日本語だと

「つまずいたっていいじゃないかにんげんだもの

だ。受け取るイメージは全然違うし、英訳はかっこいいけどきっとあいだ氏が伝えたいニュアンスではない。

 

詩を飲みたいとき、名作とよばれる詩集は海外の翻訳も多いが、

その言葉も訳されれば本当の意味は伝わらないのだろうなと思う。

 

作者の感情がそのまま文字になるのが詩だと思う。

 

 

 

 

5月9日朝の日記 白湯を飲みながら始業前に書く

GW明け2日頑張って働いた。

初日の朝はうわ〜〜行きたいくないこのままやめたい と思ったりしたがなんだかんだ時間どおり準備して働いたら普通に働けた。

 

GW最終日の5月6日の話↓

朝から下北沢の本屋B&B、日記屋月日に行った。B&Bは「会社員の哲学」をベイスで買ったところ。日記屋月日は、行く予定なかったけど下北沢を歩いてたら見つけたので入ってみた(つい先日、インスタグラムで日記屋月日をフォローしたばかりだった!)

 

B&Bでは蟹の親子さんの「水筒」「脳のお休み」を、

日記屋月日ではさぎさんの「ふあんをまるめて星にする」を買った。

後から知ったけど日記屋月日、店長が蟹の親子さんだったらしく、こっちの本も日記屋月日で買えばよかったとちょっと後悔した。

 

最近日記を書き始めたからか、それともyoutubeに影響されてか、誰かの日記を読むのにハマっている。

「ふあんをまるめて星にする」はちょうどよい大きさ、読みやすさで会社に持っていって読んだ。

昼休みに本を読むとなんだか気持ちがリセットされるようでかなりアリかもしれない。

もちろんお昼寝も忘れずに(昼寝しないと午後のパフォーマンスが終わる)

 

お昼休み、レンジを待っていると先に使っている方のお腹が大きいことに気づいた。

以前はおめでたいとか、ぽかぽかする気持ちになっていたのだけど最近はうらやましいなとかどのくらい妊活したのかなとかそういうのばかり考えるようになって嫌になる。

私も本当に子供ができることがあるのだろうか。

 

最近お昼に食べているセブンののり弁おにぎりと、フルーツサラダのヨーグルト。

これは美味しい。ぱぱっと食べて本読んで少し寝る、これが最高の昼休みの過ごし方。

 

昨日の夜はお腹が痛すぎて目が覚めた。

一気に気温下がったしお腹が冷えてしまったのかも。掛布団はGW中にしまってすでにタオルケットである。

冷や汗でびっしょりになってしまったので、パジャマを着替えて腹巻きして寝た。

今朝もなんだかお腹の調子が良くないので、白湯をのんでゆったりすることにする。

 

 

 

ふんわり「古事記」が好きというお話し

今日は私が本を読むきっかけになった話をしたいと思います。

 

元々小学生〜中学生の頃まではいろいろな本を読んでいました。

中学生になって部活や受験勉強が忙しくなり、気がついたら読書をしなくなっていましたが。

 

私が今勤めている会社では「交通新聞」という新聞を取っています。

交通新聞の名の通り鉄道関連の記事が書かれていて、鉄道ニュースに全く興味がないわたしは最後のページだけさっと見ていたのですが、あるとき「古代史の旅」というコラムが目に入りました。

その時連載してた話は、

ヤマトタケル浦賀の海を渡ろうとしたが海が荒れ狂っておりとても渡れる状況ではないとき、妻の弟橘比売が自らヤマトタケルのためにと生贄となり、浦賀に入水する。すると海は穏やかになり、ヤマトタケルは船で渡れるようになった。

…というお話でした。

 

当時私は古事記はおろかヤマトタケルについても中学の歴史で習うくらいしか知らなかったのですが、なんともドラマチックなお話しに引き込まれてしまいました。

それから古事記に興味を持ち、まず池澤夏樹さんが訳された「古事記」を読みました。

これがとても面白く読みやすく、寝る間も惜しんで読み、

池澤夏樹版以外にも古事記にはいろいろな訳があったり漫画があることも知り、一時は古事記ばかり読んでいました。

その結果本を読む面白さも思い出し、今に至ります。

 

 

 

のもとしゅうへいさん「いっせいになにかがはじまる予感だけがする」を読んだ

いっせいになにかがはじまる予感だけがするーのもとしゅうへい



前回に引き続き、吉祥寺の「百年」で選んだ一冊。

文章、絵、装丁も全てご自身でされているとのことで表紙から世界感に引き込まれました。

 

児童文学のようなちょっと不思議な世界観の中、スマホや通勤の風景やショッピングモールが登場するようなリアルさがちぐはぐで、ずっと夢を見ているような感覚でした。

作者の夢の中にお邪魔させてもらったような気がします。

 

「透明な移動が曖昧な身体を運び、見知らぬ他者の生活を静かに貫くロードムービー

というキャッチコピーも素敵です。

 

どこかに旅をしたくなりますね。

なにかがはじまる予感を感じたときに再読したいです。

 

 

 

 

 

 

 

椋本湧也さんの「26歳計画」を読んで

26歳計画ー椋本湧也

GWは本をたっぷり読もうと、吉祥寺の「百年」に行ってみた。

「百年」のXアカウントをフォローしているので、素敵な本をタイムラインで見つけて購入することがたまにあるが、この「26歳計画」もそのうちの1冊だ。

私はもう26歳ではないが、この本のこと始めて知ったのは26歳のときだった。

 

この本では、「26歳」をタイトルにして自由に文章を書くというのがルールで、

リレー形式で次の26歳の方がまた文章を書く、というふうに何人もの書き手が繋がって一冊の本になっている。

本に出てくる26歳の方々は世界中で暮らしていたりいろんな経験をしている最中だったりと、私とはまるで違う世界を生きているような素晴らしい方々だ。

東京で、狭い人間関係で会社勤めしている私とはまるで違う、と思った。

 

私も「26歳」というタイトルで文章を書いてみる。

 

 

 

 

 

26歳という年齢は、私のイメージだと小さな子供から見ればこの世の全てを知っているような年齢で、

中高生くらいの年代から見れば、酸も甘いも経験し尽くした大人のお姉さん(もしくはお兄さん)、

跳んで40代くらいの年代の方から見れば、社会人として数年働き組織の仕組みを知っている働き盛りの年齢ではないかと思う。

ちょうど26歳の線上にいる私は自分自身をそのどれとも思っていない。

子供を前にすると何を話したらいいか何をして遊んであげればいいのかわからない。

街中の中高生を見ると、見た目は確かに若いけど自分がその年代だったときのことを思い出すと中身はあまり変わっていないようにも思う。

仕事は確かに年次を重ねてわかることも増えたし、教えることもあるけど、若手社員と中堅社員のちょうど間で、どっちにも入りにくいなと感じる。

 

私はまだ自分を全然大人だと思っていなくて、なんだったら早く大人になりたいな〜などという変な憧れさえ持っている。

会社の、人生の先輩方と話すと「まだまだ若い」といわれたり、ジェネレーションギャップで話しについていけないことも多くある。

 

だが、26歳は正真正銘の「大人」である。例えば何か間違えたことをしたら、自分自身で謝罪をしたり責任を取らねばならない。

体調が悪ければ自分で病院に行くし、もし診察で決断を迫られることがあれば自分自身で決断しなければならない。

もし親が死ねば銀行や行政の手続きを自分でする必要がある。

別に26歳でなくても、25歳も、24歳も、みんな大人だ。

 

ただ、大人を自覚するような出来事がなく私のようになんとなく生きているといつから大人になれるのかわからなくなる。

周囲で同い年くらいで新卒の会社を辞めて本当にやりたい仕事を見つけていたり、

生き生きと働く友人や、子供を育てている友人をSNSで見かけると胸が苦しくなる。(そういうときは非表示設定にして防御することもある)

 

こういう時に私は本を読む。

本を読むと私は、あなたたちが仕事に粉骨砕身している間、子育てをしているこの時間に

私は新しい世界を知っているんだぞ。と、ちょっとした優越感に浸ることができる。

現実逃避なのかもしれない。

でも、ちょっと傷ついた私を救ってくれるのが本なのは間違いない。

 

こんな私、今は27歳になってしまいましたが、26歳のころから何か成長したかといわれると特に思いつかないけど読んだ本の数は増えました。

これが、少しでも「大人」になったのだと、そういうことにしておいてください。

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

 

 

 

 

 

 

日記を書きはじめる

しおさいです

 

今日から日記をつけることにしました。

塩騒という名前は初めて使います。まだ全然自分の名前という感じはしませんが、これから私に馴染んでいくといいなと思います。

 

ブログは小6〜中3くらいまで書いていたことがあります。

当時始めたきっかけは、クラスメイトがアメブロをやっているのを見せてもらい、クラスのこととか、絵とか、小説とか雑多に書いていて、なんかかっこいいな〜と思ったのがきっかけだったと思います。

私も真似して始めて、絵は描けませんでしたが、日記を書いたり友達限定で小説を書いたりといろいろなことを書いていました。

 

27歳になった私、ノートに日記を書いてみようとかも考えたのですが、

いかんせん自分の字が好きじゃないし、書いていて小っ恥ずかしくて全然素直に書けませんでした。

キーボードだったら思ったままを文字にできますし間違えたらすぐ消せますし

気楽に書けそうな気がします。

 

世界中のどこかの誰かが読んでくれるかもしれないというわくわく感がブログのいいところだと思うので、日記として書きますがどこかの誰かに向けて書きます。

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございます。