塩騒のブログ

日記を書きます。あと読んだ本の感想とかも書きます。

椋本湧也さんの「26歳計画」を読んで

26歳計画ー椋本湧也

GWは本をたっぷり読もうと、吉祥寺の「百年」に行ってみた。

「百年」のXアカウントをフォローしているので、素敵な本をタイムラインで見つけて購入することがたまにあるが、この「26歳計画」もそのうちの1冊だ。

私はもう26歳ではないが、この本のこと始めて知ったのは26歳のときだった。

 

この本では、「26歳」をタイトルにして自由に文章を書くというのがルールで、

リレー形式で次の26歳の方がまた文章を書く、というふうに何人もの書き手が繋がって一冊の本になっている。

本に出てくる26歳の方々は世界中で暮らしていたりいろんな経験をしている最中だったりと、私とはまるで違う世界を生きているような素晴らしい方々だ。

東京で、狭い人間関係で会社勤めしている私とはまるで違う、と思った。

 

私も「26歳」というタイトルで文章を書いてみる。

 

 

 

 

 

26歳という年齢は、私のイメージだと小さな子供から見ればこの世の全てを知っているような年齢で、

中高生くらいの年代から見れば、酸も甘いも経験し尽くした大人のお姉さん(もしくはお兄さん)、

跳んで40代くらいの年代の方から見れば、社会人として数年働き組織の仕組みを知っている働き盛りの年齢ではないかと思う。

ちょうど26歳の線上にいる私は自分自身をそのどれとも思っていない。

子供を前にすると何を話したらいいか何をして遊んであげればいいのかわからない。

街中の中高生を見ると、見た目は確かに若いけど自分がその年代だったときのことを思い出すと中身はあまり変わっていないようにも思う。

仕事は確かに年次を重ねてわかることも増えたし、教えることもあるけど、若手社員と中堅社員のちょうど間で、どっちにも入りにくいなと感じる。

 

私はまだ自分を全然大人だと思っていなくて、なんだったら早く大人になりたいな〜などという変な憧れさえ持っている。

会社の、人生の先輩方と話すと「まだまだ若い」といわれたり、ジェネレーションギャップで話しについていけないことも多くある。

 

だが、26歳は正真正銘の「大人」である。例えば何か間違えたことをしたら、自分自身で謝罪をしたり責任を取らねばならない。

体調が悪ければ自分で病院に行くし、もし診察で決断を迫られることがあれば自分自身で決断しなければならない。

もし親が死ねば銀行や行政の手続きを自分でする必要がある。

別に26歳でなくても、25歳も、24歳も、みんな大人だ。

 

ただ、大人を自覚するような出来事がなく私のようになんとなく生きているといつから大人になれるのかわからなくなる。

周囲で同い年くらいで新卒の会社を辞めて本当にやりたい仕事を見つけていたり、

生き生きと働く友人や、子供を育てている友人をSNSで見かけると胸が苦しくなる。(そういうときは非表示設定にして防御することもある)

 

こういう時に私は本を読む。

本を読むと私は、あなたたちが仕事に粉骨砕身している間、子育てをしているこの時間に

私は新しい世界を知っているんだぞ。と、ちょっとした優越感に浸ることができる。

現実逃避なのかもしれない。

でも、ちょっと傷ついた私を救ってくれるのが本なのは間違いない。

 

こんな私、今は27歳になってしまいましたが、26歳のころから何か成長したかといわれると特に思いつかないけど読んだ本の数は増えました。

これが、少しでも「大人」になったのだと、そういうことにしておいてください。

 

 

ここまで読んでいただき、ありがとうございました。